そのルールの外へ脱出してほしかった  映画「TIME/タイム」 30点

筆者はいまFaceBookのあるソーシャルゲームにはまっている。こうしたゲームが興味深いのは、「時間」を実際のお金を使って買うことができるところだ。無料でプレイするユーザーが他のユーザーに手伝ってもらったり時間をかけたりしてようやくたどり着くミッションクリアまでのプロセスを、お金を払ったユーザーはスキップできるわけだ――もっとも、援助してくれる「他のプレーヤー」も流行りの言葉で言えばソーシャル“キャピタル”ということになるのだが。

お金と時間の関係は今に始まったことではない。下手をすればそれは、資本主義社会の年齢とほぼ同じかもしれない。「時は金なり」という格言は、アメリカの独立に多大なる貢献をした政治家ベンジャミン・フランクリンのものであるが、そんなアメリカ発のこの映画『TIME/タイム』(原題『In TIME』)は、そんなお金と時間の“腐れ縁”をさらに強調したSFだ。

近未来、遺伝子操作によって25歳になると歳をとらなくなってしまった人類は、右腕にて刻々と刻まれていく自分の寿命を売り買いすることで生きていくことになる。「時は金なり」ならぬ「金は時(寿命)なり」のこの世界には歴然とした格差があり、何世紀もの「寿命」を残す大富豪がいれば、あくせく働きながら今日の命をも危うい貧者が文字通り「時間稼ぎ」をしているのである。

貧民エリアに生まれたウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)もその一人で、「貧乏暇なし」という諺よろしく、毎日工場であくせく働いて寿命を延ばしている。そんなある日、街に流れ着いた富豪からひょんなきっかけでもらった100年の寿命をもとでに、彼はニューリッチのエリアにもぐり込むが、タイムキーパーに犯罪者と誤解されてしまい逃避行が始まる。

映画は全編、この奇抜な「金は時(寿命)なり」というルールに沿って展開するが、その奇抜さのベールをはぎ取ってしまえば結末も含めどうも陳腐な映画だ。その根本的な原因は、この映画がこのルールの上での戯れでしかないことにある。なぜこのような世界になったのか?誰がどうしてこのようなことをしでかしたのか?その考察は一切ない。話は、そしてキャラクターは、そのルールの外部へは一切出ようとしない。というか、初めからこの映画のつくり手にとってそこは「空無」でしかない。その上自分たちが作ったこのルールを遊び切れていないような気がする。

また生と死についても考察不足に思える。というのも多くの人間はそもそも、何百年や何千年と生きたいと単純に思うのだろうか。早死にの苦悩もあるが、「死ねない」苦悩もあるのではないか。そうした不老不死の苦悩は、例えば手塚治虫が『火の鳥』の一部で描いているが、その点で冒頭に登場する彼のような決断をとる人が少しはいるだろう。それがないから、結果的にものすごく平板で軽薄な価値観と世界に見えてしまう。

筆者は、この映画の雰囲気に「世にも奇妙な物語」(フジテレビ系)の、特に不条理な世界を描いた近未来ものの作品群を思い起こした。あれは一作あたり20分ほどのショートドラマであり、ルールの上での遊びにとどまっていても観賞に耐えられるが、それを2時間近くかけてやられるとさすがに苦痛になってくる。

もっとも映画の見方、感じ方は人それぞれだ。こちらのブログのように面白かったという人もいる。この映画に2時間費やすことが有意義なことか、単なる浪費に終わるか。どちらにせよあなたの寿命は今も刻々と目減りしているわけであり、慎重に判断し行動されたい。(今田祐介)


監督:アンドリュー・ニコル/2012年2月17日より全国公開