苦役列車

近代日本文学において作家たちは「情けない私」を私小説という形で発表してきた。有名な作品を挙げるとするとやはり田山花袋の『蒲団』であろうか。過去の文豪たちは女にすがりつき名誉にすがりつき、醜態をさらしながら世に名作を送り出してきた。――では現代では?見目好い若手作家の大賞受賞によるデビューなど、いつの間にか文壇はまるで芸能界のような華々しさをもつような場になってきた。しかし、今回の芥川賞はどうも様子がおかしい。さえない中年男・西村賢太が「情けない私」を描いた私小説苦役列車』で受賞したのだ。
苦役列車』の主人公・寛太は、父親が性犯罪者という不幸な身の上を差し引いたとしても驚くほどだめな人間である。母親からお金をむしり取り、酒と風俗に溺れながらその日暮らしを続ける。働き先(これもまた「埠頭での荷物積み下ろし」という悲しさ)でデキる友人を見つけるも、自分と比べて卑屈になっていくばかり。う〜ん、情けない。
しかし、そのだめな男・寛太を通してみる世界はどこかコミカルな雰囲気も持つ。デキる友人も、そのキャピキャピした恋人も、そりが合わない同僚も、みんな「こんな人いるいる!」と思わせるような人物であり、きわめて平凡な日常であるのに何かが読者を笑わせるのである。その何かというのはもちろん私小説ならではの「情けなさ」であろう。寛太が卑屈であればある程、読者はその卑屈さに親近感を抱くのだ。なぜなら現代人の多くは芸能人のような華々しさをもつカッコいい人物ではなく、近代の私小説作家のように自己愛にまみれた自分を他人に受け入れてほしい「情けない」人たちなのだから。
また、本書には表題作のほかに、小説を書き始めた寛太が川端賞受賞を心待ちにする「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も収録されており、この作品も題名からしてかなり情けない作品となっている。
ちなみ今回の芥川賞のもう一人の受賞者・朝吹真理子は若くて美人な文学一家のサラブレットである。街中で読むには『苦役列車』より彼女の『きことわ』のほうをお勧めする。おしゃれなカフェには黒い表紙の私小説よりさわやかな装丁の話題作のほうが似合うだろう。(E.M)

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