ムカデ人間

 ドイツ郊外の森で行方不明事件が次々と発生する。犯人は、かつてシャム双生児の分離手術で名をはせたヨーゼフ・ハイター博士だった。博士がなぜそんな事件を起こすのか。それは彼の長年の夢に起因する。彼が本当にしたかったのは人間を分けることではなく、つなげること、すなわち「ムカデ人間」の創造だったのだ・・・。


 昨年アメリカで公開されカルト的な人気を獲得した「ムカデ人間」(原題『The Human Centipede』)が、今公開されている。ディーター・ラーザー演ずるいかにも神経質そうなハイター医師は、戯画化されたマッドサイエンティストだ。メアリー・シェリーのフランケンシュタイン博士が怪物を創造して以来約200年、創造主にとって代わりたいという彼ら狂った科学者のゆがんだ欲望は、ついにこのムカデ人間にたどり着いたというわけだ。邦題、そしてプロモーションでも散々紹介されているため、彼が何をしでかすのかというのは、劇場に足を運んだ多くの観客にはすでに察しがついていただろう。だがたとえわかっていたとしても、実際に映像化された“それ”を目の当たりにしたときの衝撃度は、ほとんど減じない。

 ムカデ人間とは一体何者なのか。事件の被害者でもありミュータントでもあり、カテゴライズが不可能だ。それは観る側も同様で、手術痕に痛々しさを感じる人もいるだろうし、生きたままみじめな姿に変えられた被害者たちにアブノーマルなエロスを感じる人もいるだろう。とにかく、ムカデ人間からは恐怖にとどまらない様々な感情が想起する。

 また、ホラー映画ということにはなっているが評者はそう簡単にジャンル分けできる映画でもないと感じた。手術シーンなど凄惨な描写もふんだんに盛り込まれているが、それはこの映画の枝葉にすぎず、この作り手が見せたかったのはあくまでムカデ人間とその「生態」なのだ。ムカデ人間への情熱は、ハイター医師の情熱であるとともに、監督自身の情熱でもある。

 「なんでやねん」という不自然な設定、展開もないわけではない。特に、本作で日本人ヤクザ役(なんでそんな奴がドイツの山奥で拉致監禁されてんだ)を演じきった北村昭博によるラスト前の長いセリフは、日本的な宗教観からすればかなり違和感があるだろう。だが、そんな不自然さを鑑みてもおつりがくるくらい、この映画はぶっとんでいる。それにしても、この映画に日本人が出ていたことはある意味誇るべきことだろう。

 人と人とがつながる(断じてロマンティックな意味ではない)とはこういうことなのかと、思わず感心してしまう。特に、この映画の一つの山場である強制ス×ト×のシーンは必見。場内ではどよめきが起こっていたが、評者も思わず声を上げて笑ってしまった。しかしそれにしても、なんでこんなことを思いついたのだろう。そしてなぜこれを映画にした?(今田祐介)

監督:トム・シックス/2010/英・蘭合作 7月2日より全国公開