映画の日の二作〜『コクリコ坂から』と『SUPER8』

 先週の映画の日に二作連続で観てきたので、その二作をあえて対置してレビューを書いてみることにする。

 一作目は『コクリコ坂から』。いわずとしれたスタジオジブリ宮崎駿の息子、宮崎吾郎がメガホンをとった第二作だ。1963年の横浜を舞台に、ヒロイン松崎海と先輩風間俊の恋と、2人の通う高校の文化部部室の建物、通称「カルチェラタン」の取り壊しを阻止するべくたちあがった学生たちの奮闘が並行して描かれる。

 ひと言で言うと、「毒にも薬にもならない映画」である。この「毒にも薬にもならなさ」にどこか懐かしさを感じると思っていたら、その出所がわかった。みなさんは小学校の頃に、体育館でなかば強制的に鑑賞させられたアニメを覚えてないだろうか。道徳や反戦教育などの教材用に作られたアニメ映画のようなやつ。あれに色調が似ている。
 
 作中の大きな柱の一つになっているカルチェラタンであるが、取り壊されることが決まっているにもかかわらず、まったくもって「取り壊される気配」がない。取り壊されることになっているというのだが、そこには取り壊しを主導し、学生たちの危機感を煽るような「大人」が出てこない。歴史あるカルチェラタンをどうして壊したがるのか。その「悪意」を具現化するようなキャラクターが登場すればまだ話がわかる。だが、それになりそうなキャラクターはほとんど出てこない。だから、どうしても学生たちの奮闘は滑稽な独り相撲に映ってしまう。

 一方もう一つの軸、海と俊の間にも途中で「出生の秘密」など克服するべき問題が浮上するが、いかんせん地味すぎる。公開前から本作との比較でよく引き合いに出されていたのは故近藤喜文の『耳をすませば』だが、これではかの「究極のリア充青春映画」の牙城は崩せないだろう。「耳すま」のヒロイン・滴とその相手役の天沢聖司には、それぞれ将来の夢がある。その夢に希望を抱きながら時に不安で張り裂けそうになるその様が放つ目がくらむような輝きに、現実を這いずり回る虫けらでしかない我々観客は、ほのかな殺意を覚えつつも憧れてしまう。今作は殺意を覚えるにも憧れるのにも中途半端で、もちろんこれは原作ありきの話でしかたないことかもしれないが、もっと俺たちに血の涙を流させてくれよ。

 ちまたでは吾郎氏の前作『ゲド戦記』よりは好評価のようだ。筆者が二回挑戦して二回とも寝てしまった上質な催眠ムービー『ゲド戦記』であるが、本作はたしかに「ゲド」より「まし」である。だが下手に「まし」なぶん、「ゲド」以上に忘却の彼方にかすむ可能性が高い。あの作品はもう一度くらい観るかもしれないが(だって途中で寝ちゃったからね)、この作品はたぶん二度と観ないもん。終盤はかなり苦痛だったが90分で終わってもらって本当に助かった。
(『コクリコ坂から』監督:宮崎吾郎/2011/日 7月16日より全国公開)

 そのあと20分もしないうちに二作目、脚本・監督J.J.エイブラムス、製作スピルバーグの映画『SUPER8』を鑑賞。とあるアメリカの片田舎の舞台に、映画少年たちが撮影中に偶然巻き込まれてしまった不思議な体験や軍部の陰謀などが交錯するSF超大作だ。当ブログではすでに増田景子がとりあげている

 直前に観ただけに否が応にも『コクリコ坂から』と比べてしまうが、予め言っておけば映画として『SUPER8』の圧勝だ。
 開始数分で、映画の主人公が今抱えている問題や彼の置かれた環境が、きわめて簡潔でいてきわめて効果的に描かれる。もうこの時点で映画に引き込まれるのだが、そうした優れた演出で描かれた少年たちの日常に、とある“非日常”は唐突にしてほぼ垂直に突き刺さってくる。「ここまでやるかよ!?」と笑えてくるくらいのCG演出によるド派手なシーンは、やはりこの手の映画にはぜひとも必要な醍醐味の一つだ。

 もっとも、とりたてて斬新な試みがなされているわけじゃない。SF映画によくあるような、ありふれた要素(特に『E.T.』的な何か)のパッチワークと言えば、否定しようがない。
 しかし、ありふれた要素が映画という一つのまとまりになったとき、120分をほとんど中だるみすることなく走りきる爆発的なエネルギーが生まれる。『コクリコ坂から』には、「“これ”と“それ”と“あれ”の要素が入ってれば、とりあえず人って感動するんじゃね?」という打算が透けて見えるが、一方こちらは「ここでこうすれば観客にどのような効果が生まれる」ということを考えに考え抜いた痕跡がある。それはいいかげんな「打算」ではなく、綿密な「構築」と呼べるものだ。繊細な感情の機微を描いているはずの『コクリコ坂から』の方が、むしろおおざっぱに思えてきてしまう。結果として、二作の映画としての「偏差値」には、歴然とした差異が生まれる。
 他にも文句がないわけではない。クライマックス前の一瞬の「交流」のシーンもどこか偽善的だし、これだけの脅威にもかかわらずほとんど人が死なない(あるいは死んでも暴力描写は極力避けられている)ところに、時代に伏流する方向性(それもきわめて悪い種類のそれ)を感じなくもない。だがそれでも、『コクリコ坂から』より断然こちらを推したい。
(『SUPER8』監督:J.J.エイブラムス/2011/米 6月24日より全国公開)

 ここまで読めばわかると思うが、二作はまったく異なるジャンルの作品だ。だからこれは、『コクリコ坂から』より『SUPER8』の属するジャンルの方が僕に合っていたというだけのことかもしれない。
 だが、ものには限度というものがある。
 もし僕のように『コクリコ坂から』と『SUPER8』を連続で観賞し、前者の方がおもしろかったとほざく人間がいるとすれば。
 僕はその人と友達になれないかもしれない。(今田祐介)