新たな映画作家との出会いに興奮 『べガス』

新しい映画監督との出会いほどワクワクすることはないし、その出会えたばかりの監督の最新作の公開が近日中に控えているなんていう状況は、2011年現在の映画状況からしてみれば希有な幸福で、興奮をよぶ興奮、その歓喜をさけばずにはいられないのである。ともかく、アミール・ナデリとの出会いは衝撃であった。
 恥ずかしながら私は『CUT』の監督名を見るまで、東京国際映画祭の常連で、今年の第12回東京フィルメックスの審査委員長を務めるアミール・ナデリという名を通り過ぎてきた。しかし、11月11日、12日の2日間限定で行われた「ビバ! ナデリ」で見た『べガス』と『サウンド・バリア』の上映後、いや1作目の『べガス』を見ている最中から、アミール・ナデリという名が私の中にごりごりと木の幹を彫りつけるかのごとく強烈に深く深く刻印されていったのだ。もう忘れることはできない。

 
 タイトルの『べガス』はスロットやチップの音が絶えず鳴り響き、過剰にきらびやかに装飾され、大金がうごめく眠らない街、あのラスベガスのことを指しているのだが、映画の冒頭からその「べガス」という語の持つイメージからことごとく突き放してくる。ちろちろと鳴る風鈴の音をバックに、黒い画面の左下隅に大きくもなく、小さくもなく、白い文字でクレジットタイトルが淡々と表示されていく。そして画面が切り替わり、次に映るのは荒涼とした赤土の土地を少年が自転車で土煙をあげて颯爽と横切っていく姿だ。遠くには昼間のラスベガスの高層ホテル街が見え、それらは確かにその土地はラスベガスであることを説明しているのだが、彼の走るそこはあまりにもかけ離れた風景なので、映画の書き割り背景か砂漠の蜃気楼のようにしか見えない。そして少年の自宅であろうか、荒野にフェンスで囲ってこしらえた敷地に建てられたコンテナハウスに屋根をのっけたような家の玄関先のステップに自転車を乗り捨てて中へと入っていく。この間、わずか数分、セリフやナレーションは一切ない、が、だいたいの少年が暮らしている「べガス」が説明されている。
 その後にこの一家をかき回すきっかけとなる人物の乗った車が出てくるのだが、その車は明らかに怪しくて、少年の家の正面玄関から10メートル弱離れた路肩もないところにぽつんと駐車して家をじっと眺めているし、さらに出てきた青年の言動がすべて胡散臭い。

 圧倒的な画面で語る力とそれで持たされた期待を裏切らないアミール・ナデリの『べガス』は、その後はひたすら家の庭を掘り返すだけの話なのだが、冒頭で持った映画自体への期待も裏切ることなく、それを上回る面白さなのだ。「すばらしい娯楽映画ですよね」と『べガス』上映後、トークイベントのゲストであった黒沢清監督は口を切ったのだが、妙に言い得たこの一言は、さすが黒沢清監督だと言いたくなるが、それはさておき、そうこれは近年そうそう出会えなくなってしまっている娯楽映画の名作なのだ。
 この『べガス』が次に日本でお目にかかれるのがいつなのかは分からないが、その代わりにアミール・ナデリ監督作品で、西島秀俊主演の日本で制作された『CUT』が公開を控えている。今から楽しみでしょうがない。(増田景子)


監督:アミール・ナデリ/アメリカ/2008
2011年11月11日、12日「ビバ! ナデリ」@オーディトリウム渋谷にて上映