ダイアモンドに隠されたもうひとつの「野球」について〜マネー・ボール〜

 2011年のプロ野球ソフトバンクホークスの日本一で幕を閉じたが、オフに思わぬ事態が待っていた。巨人の清武ゼネラルマネージャー(以下GM)が、人事権を侵害されたとして親会社である読売新聞の渡辺恒雄主筆を公然と批判したのだ。この件でメディアは大いに盛り上がったが、市井の人間、とくに巨人ファン以外の者の中には、どうも彼に肩入れしずらいという人も少なくないのではないか。というのも、清武氏自身もこれまで巨人というブランドの内部でぬくぬくとやってこれたのだから、今さらそんな正義感に打って出てもらっても、説得力がないのだ。

 それにGMの奮闘っぷりが絵になるのは、巨人のような潤沢な資金力で戦力をそろえることのできるチームではない。むしろ、毎年お金のやりくりに苦慮しながらなんとかリーグを戦う貧乏球団のそれではないか。ブラッド・ピットの『マネー・ボール』を見た後は、その想いを強くする。

 本作は、メジャーリーグ球団オークランド・アスレチックスGMビリー・ビーンをとりあげた同名タイトルのノンフィクションの映画化。2001年、プレーオフまで進出したアスレチックスはあと一歩のところでNYヤンキースに敗退する。しかし、本当の試練はオフシーズンに待っていた。チームの主力、ジェイソン・ジアンビーやジョニー・デーモンが、相次いで他球団に引き抜かれてしまうのだ。評者は瀬戸内海にある某魚類の球団のファンなのだが、シーズンを(たとえリーグ何位に終わったとしても)無事終了した後に訪れるこの絶望感には、涙が出るほど共感できる。

 来シーズンのための補強が急務の課題になり、ベテランスカウトチームは今まで通り「将来性のある選手」を集めようとするが、ビリー(ブラッド・ピット)はそれではだめなのだと感づいていた。ヤンキースと同じ野球をやっても、資金力で劣るアスレチックスは勝てないのだと。

 そんなビリーがひょんなきっかけでピーター(ジョナ・ヒル)と知り合う。イエール大学で経済を専攻していた彼は、先人たちとまったくちがったデータを基にした野球の「見方」をしていたのだ。ここから、激情家でハンサムなビリーと理論家で小太りなピーターという凸凹コンビのチーム再建が始まる。彼らは「パソコンでチームは作れない」と今まで通りの方法に固執するスカウト陣、監督らとも対立する。次第にあきらかになっていくのは、自身元メジャーリーガーのビリーにとってこの戦いが、根拠のない「目利き」によって若者を球界へと迷い込ませていく旧来のスカウティングシステムへの「復讐」でもあったということ。

 映画としての完成度には、疑問が残る。スポーツ映画というのはこれまでも何作か観てきたが、一番のネックになるのはやはりズブの素人の俳優の「演技」をいかにプロの「プレー」っぽくみせるか、誤魔化すかだ。正直なところこの作品はそれに成功したとは言えない。それに目をつぶるとしても、劇中のビリーの不自然な行動への疑問は、観終わった後に原作についてネットで情報を得るうちに氷解したが、それを劇中の論理で完全に消化しきれてはいない。さらに、事実を基にした映画特有の難しさがあったと思う。勝った試合を負けた試合にはできないし、その逆もしかり。だから、クライマックスにかけての盛り上がりに欠けるところは、いなめない。

 だがそれでも、ピーターが駆使する「セイバーメトリクス」という分析手法、打率や防御率といったわかりやすい選手の指標からではなく、ゲームの中に隠されたまったく別の論理によって「勝利の方程式」を導くというそれの面白さは、この映画からいかんなく発散されていると思う。

 先に書いた通り、評者は瀬戸内の某魚類の球団のファンなのだが、スタート地点ではアスレチックスと似たような境遇にあると言える。しかし、肝心のやっている野球は旧態依然としたままだ。いつになったらプレーオフを躍動する赤いユニフォームが見れるのか、このオフも来シーズンへの期待に胸膨らませながら、黄金時代の動画を見て楽しむのだった。(今田祐介)

監督:ベネット・ミラー/米/2011年11月11日より全国公開